院長プロフィール

院長プロフィールは、概略と詳細に分けています。

 

最初に概略、その後詳細を書いています。

 

プロフィール詳細はかなり長文なので、お時間のある時に読まれることをオススメします。

 

 

 

院長プロフィール(概略)

撏龍堂(しんりゅうどう)整体院の渋谷(しぶたに)和行と申します。

 

1964年9月24日生まれです。

 

てんびん座で、血液型O型。

 

兵庫県の尼崎市南塚口町出身。

(七五三の時。隣は妹です)

 

 

好物はすし(マグロ:赤身)とめん類。

 

手ぬぐいとペンギングッズ収集が趣味です。

 

関西大学文学部英文科を卒業した後、プログラマー、営業(施工販売)営業と転職を重ね、管理栄養士になりました。

 

この頃は、本当にやりたい仕事は何だろう?と自問自答する時期でしたね。

 

 

 

管理栄養士になったのは、親父の影響でしょう。

 

親父は私が小学生の頃、慢性腎炎になり、人工透析を行っていました。

 

食生活が重要なんだということを、身近に感じていたからでしょう。

 

 

 

横浜の小児病院や保健所、高齢者施設、総合病院といくつかの職場に勤めました。

 

その頃、最初の結婚と職場の人間関係に打ちのめされ、父親の危篤も重なりました。

 

パニック発作と自律神経失調症になり、会社は4か月の休職。

 

結局、退職と離婚をしました。

 

自宅で一人、発作と不調、不安に押し潰されそうな、暗黒の日々でした。

 

 

 

その後、ご縁ありまして大阪の小学校に採用され、地元に戻りました。

 

実家でお袋と同居を始め、代替医療で心身を整え始めました。

 

鍼灸に整体、カウンセリング等を受けました。

 

その結果心身は少しずつ回復して、すっかり元通りに。

 

健康のありがたさを、心の底から実感しました。

 

 

 

小学校で管理栄養士として働きながら、休日に整体を学びはじめました。

 

整体修了後、休日に整体を行うようになりました。

 

 

 

いろんな症状のお客様に整体を施して、勉強通りにはいかない難しさと奥深さに直面します。

 

経験を重ねて、「肩こりが楽になった」「腰痛が気にならなくなった」など喜びの声をいただくようになりました。

 

自分の本当の居場所を見つけた!心の奥からの喜びを感じました。

 

 

 

そして、母親の急死・・・。

 

 

たった一度しかない人生、後悔せずにやりたい事をやろう、と。

 

整体師を本業にしようと決めました。

 

 

 

2012年4月から横浜に戻り、整体院を開業。

 

おかげ様で横浜市内、東京や埼玉、県外からも多数のお客様が来院されます。

 

本当に、ありがたいことです。

 

現状に満足することなく、今後も日々勉強を続け、さらなる整体技術の向上を目指します。

 

思いやりと感謝の気持ちを忘れず、精進してゆきます。

 

お読みいただいて、本当にありがとうございました。

私のことをさらに詳しくお知りになりたい方は、以下をご覧ください。

 

(かなり長文なので、お時間のある時に読まれることをおすすめします)

 

 

 

院長プロフィール詳細

撏龍堂(しんりゅうどう)整体院院長兼整体師:渋谷(しぶたに)和行の自己紹介です。

 

前半は基本データ、後半は整体師になるまでの過程を書いています。

 

(2019年9月現在)

 

 

 

基本データ

 

身長175センチ、体重61キロです。

 

血液型O型(両親ともO型なので:調べてません)

 

1964年9月24日生まれ。

 

バツイチですが、4歳年下の妻と再婚14年目。

 

家族は5歳年下の妹がいます。

 

親父は2001年、お袋は2011年に亡くなりました。

 

妹は結婚して娘との二人暮らし。

 

 

 

家族

 

父は島根県益田市生まれ。

 

柔道で、オリンピック強化選手の最終選考に残ったようです。

 

高校卒業後、陸上自衛隊や松下電器の技術職など様々な職業を経て、運送会社のトラック運転手に落ち着く。

 

私が小学校2年生のころ腎臓を患い、後に人工透析を開始。

 

透析中にくも膜下出血にかかり、意識不明に。

 

19日後の2001年11月25日に死亡。

 

享年64歳。

 

 

 

母は兵庫県丹波篠山出身。

 

高校の頃、陸上部中距離で当時の大会記録を出したらしい。

 

高校卒業後、デパート店員をしていた頃、父と知り合い結婚。

 

病に倒れた父と家族を支え、長年事務員として勤務。

 

2011年10月28日、突発性の心停止により死去。

 

享年74歳。

 

 

 

妹は、本当は2人いるはずでした。

 

最初の妹、由紀子は、生まれて半年で亡くなりました。

 

次に生まれた妹は、高校卒業後事務員として勤務。

 

現在は薬局で事務職員として働きながら、一人娘と仲よく暮らしています。

 

 

 

妻は東京八王子出身。

 

現役の薬剤師。

 

アロマセラピストであり、最近はハーブの講師をしています。

妻とのなれそめは、知り合いのヒーラーさんから紹介されたこと。

 

中国武術の馬貴派八卦掌を学ぶため、東京に行った時に知り合いのヒーラーさんに声をかけました。

 

東京に行く前日に「私、都合悪くなったから行けないわ。知り合いの女性を紹介するね」と。

 

それが今の妻です。

 

 

 

妻と知り合って、結婚するまでに会ったのは3回。

 

遠距離でしたから、毎月の電話代は4万円超えてました。

 

 

 

人柄

 

勤めていた時は「渋谷さんって優しいね」とよく言われていました。(本当です)

 

年齢を言うと、大体びっくりされて「もっと若いと思ってました」とも(本当ですよ)

 

 

 

モットー

 

ハートにしたがい、フロー(流れ)に乗る。

 

 

 

プライベート

 

暇つぶしに、無料動画サイトで女子プロテニスの動画を見る。

 

(男子テニスはボールスピードが早すぎて、老眼にはツラい)

 

ジョギングで、氏神様の篠原八幡神社に参拝する。

 

 

 

好きな言葉

 

人間万事塞翁が馬

 

一番軽いものが、一番遠くまで飛ぶ

 

 

 

性格

 

人見知りしない(社交的ではない)

 

外国籍の人と遠慮なくコミュニケーションできる

 

(英文科卒ですが、英語はあまり通じない。それでも会話に不自由したことはない)

 

我慢強い(と思っています)

 

マイペース(集団行動は苦手)

 

頼まれ上手ですが、断り下手でもあります。

 

細かいところに気がつく(と思っています)

 

 

 

趣味

 

ペンギングッズ収集(JR東日本のSUICAマスコットペンギンが大のお気に入り)

 

和柄中心の手ぬぐい収集

 

ミュージカル観劇(妻の仕切りで)

 

2種類の占いを学んでいます。

 

横井式周易と干支九星術を、それぞれ深く学んでいます。

 

要望があれば鑑定も行います。

 

 

 

好きな食物

 

マグロの寿司(赤身)

 

子どもの時、マグロだけで17皿、34鑑食べて父に呆れられました。

 

めん類(蕎麦やパスタ系、好きです。作るのも得意です)

 

 

 

好きなヴォーカリスト

 

エンヤ、セリーヌ・ディオン、サラ・ブライトマン、井上陽水、吉井和哉

 

 

 

好きな女優・モデル

 

メグ・ライアン、ヘレン・ハント、夏目雅子、山口小夜子

 

 

 

愛読書

 

東洋医学や代替医療、ヒーリング全般を「広く深く」読みます。

 

マーケティングやブランディング関連の本も大好き。

 

(中小企業診断士の勉強していたこと、あります)

 

 

 

好きな色

 

シルバー、オレンジ、ゴールド、チョコレートブラウン。

 

 

 

好きな飲み物

 

ほうじ茶、妻特製のハーブティ

 

京都一保堂の炒り番茶も結構好き。

 

コーヒーは飲めません。

 

紅茶なら1日1杯位なら飲めます。

 

昔は大酒飲みでしたが、今は1滴も飲みません。

 

 

 

好きな場所

 

明治神宮(明治神宮オタクです) 

 

 

 

長所

 

好奇心旺盛

 

 

 

短所

 

いろんな事に頭を突っ込み、時々抜けなくなります(笑)

 

 

 

好きなこと

 

サポートすること・健康に関すること・家庭料理

 

 

 

スポーツ歴等

 

小学生の時、スポーツ少年団で器械体操を行う。

 

中学校ではサッカー部に入部。

 

ポジションは左ウイングでした。

 

だけど、利き足が右足なのでセンタリングがうまく上げられなかった。

 

(練習したけど)

 

そのうち、ひざを痛めて退部。

 

 

 

高校生の頃、バドミントンを1年間(ダブルスで県大会2部優勝)。

 

大学以降は「草テニス」を仲間と遊びでやっていました。

 

 

 

当時のアイドルはビヨン・ボルグとイワン・レンドル。

 

その頃は、マッケンローの超絶タッチよりも、問答無用の強打が好きでした。

 

バックハンドは、ボルグのマネで両手打ちでしたが、うまく打てないので片手打ちに。

 

 

 

社会人になって、太極拳簡化二十四式を学び、関西気功協会で気功を学ぶ。

 

気功は、太極気功が好みです。

 

並行してアフリカンドラムを学び、ジャングルビートを身体に染込ませる。

 

いくつかの古武術をかじるが、足首の故障で休止中。

 

伝統的な古武術を学びたい気持ちは、あります。

 

 

 

学歴・経歴

 

兵庫県尼崎市南塚口町出身。

 

尼崎市立名和小学校、尼崎市立大成中学校、兵庫県立尼崎稲園高等学校卒業。

 

1年浪人して、関西大学文学部英文学科に入学。

 

 

 

大学卒業後、某独立系ソフトウェア会社に入社。

 

コンピュータープログラマーで、東京田町に勤務しました。

 

言語はIBM系のアセンブラ。

 

某航空会社の顧客管理システムをサポートしていました。

 

激務、というより仕事についてゆけず、体重が50キロまで減ってしまいました。

 

残業は月に40時間程度。

 

同僚で、1日おきに徹夜している奴もいたのに。

 

プログラムは本当、わからなかったです・・・。

 

 

 

当時の写真を見ると、頬がこけた「骨皮筋右衛門」。

 

ウエストがブカブカになり、ズボンをサスペンダーで吊っていました。

 

結局、1年後退職。

 

 

 

退職後、施工販売で営業をしたが数か月で退職、

 

栄養士養成の専門学校(大阪府環境科学研究所附設栄養専門学校)に入学。

 

栄養士の資格を取る。

 

卒業後、横浜で10年間、栄養士として勤務。

 

小児専用病院ー老人保健施設ー保健所ー病院に配属されました。

 

管理栄養士の資格は、就職2年後に取得。

 

 

 

子どもから整体師になるまで

 

子どもの頃は「本の虫」でした。

 

両親に、新聞折り込み広告を指差して「この字何て読むの?」とたずねていたそうです。

 

立ち読み専門の本屋が数件あり、毎日通っていました。

 

読んでいたのはマンガですね。

 

 

 

高校生の頃、少女マンガにはまりまして、単行本を次から次へ買い集めました。

 

好きな漫画家は清原なつの、坂田靖子、吉野朔美、山田章博、内田善美などなど。

 

 

 

一方で「不思議大好き少年」でした。

 

いわゆるユリゲラー直撃世代です。

 

スプーンは曲がりませんでしたが、小学校の運動場で私しか見えないUFO?を見た事も、あります。

 

その頃「月刊ムー」「たま」「フィリ」は定期購読していました。

 

 

 

小学校4年生の頃、初恋に目覚めました。

 

相手は担任の女教師で、名前は武田先生。

 

憧れてました・・・。

 

 

 

子どもの時は、音楽はバカにしていました。

 

「どうしてこんなの聴かなければならないの?」と結構真剣に思ってましたね。

 

でも、親戚の家でさだまさしさんの「私家集」を聴き、完全にノックアウトされました。

 

古き良き昭和を感じさせる歌詞と、ストリングスの響きにシビれたんです。

 

それで、音楽に興味が出てきました。

 

沢田研二さんや郷ひろみさん、初期の中森明菜さんなどの歌謡曲を聴くように。

 

 

 

高校生の頃はイエローマジックオーケストラ(YMO)にハマりました。

 

ライブに初めて行ったのは、YMOです。

 

「YMO直撃世代」というのは、自分の中では自慢です。

 

社会人になって、ディーヴァと呼ばれる女性ボーカルを聴くように。

 

実は、イエローモンキーも大好きです。

 

カラオケではよく歌います(今でも)。

 

 

 

高校生の頃、ユングを読んで心理学者になろうと思ったことも、あります。

 

一年間自宅学習をして受験した大学では「得意だから」という理由で英文科に入学。

 

でも、英語の先生になるつもりはなかったです。

 

 

 

子どもの頃の夢は、おもちゃ会社の社長になろうと思っていました。

 

それから小説家になろうか、心理学者になろうかと思いはじめて。

 

大学生の頃、能力開発関係のコンサルタントになろうと思っていました。

 

コンサルタントになって、お客様の問題解決がしたかったのです。

 

 

 

でも。

 

「これからはコンピューターくらい触れないと」と、プログラマーになりましたが、体調を崩して退職。

 

退職を認めてもらうために帰郷すると、玄関先で速攻、親父から往復ビンタをくらいました。

 

「男なら、一度決めたことは死んでもやれ!」

 

そう言われても、死にたくなかったので・・・。

 

後になって、親父が高卒で就職後、転職を繰り返したことを知りました。

 

思えば、親父は転職して苦労したから、私に苦労しないよう転職を踏みとどまるように言いたかったのでしょうね。

 

 

 

プログラマーを辞めてから「天職」について考えるようになりました。

 

私が本当にやりたい仕事は何だろう?と。

 

 

 

プログラマーを辞めて、お袋のコネで転職。

 

長崎の現場に、長期で出張していた時です。

 

職場と宿泊先の往復、慣れない車の運転と職場の人間関係に疲れ気味。

 

ズブズブと時間をつぶしているような、物足りない時期でした。

 

 

 

ある夜、同じ部屋の上司がパチンコに出かけました。

 

酔っ払った私は、意味もなくテレビのスイッチをつける。

 

プロ野球中継が放映されていました。

 

 

 

ジャイアンツの吉村選手の復帰戦でした。

 

 

 

吉村選手は試合中に外野フライを取ろうとして、ボールを追いかけてきた他の選手と激しくぶつかりました。

 

大けがをして、選手生命を失う危機、日常生活さえうまくいかない状態になりました。

 

アメリカで大手術を行い、懸命のリハビリをして約3年ぶりに復帰したのです。

 

 

 

吉村選手が代打で登場してから、私は涙涙でテレビをうまく見れません。

 

私の記憶では、確かセカンドゴロを打って一塁まで全力疾走したはずです。

 

 

 

私は涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、こんな言葉が頭の中をぐるぐる回っていました。

 

 

 

「吉村選手はあんなに頑張っている。

 

でも、私はふてくされて酔っ払っているだけだ。

 

もう一度ちゃんと自分のやりたい事をやろう」

 

そう決めたのです。

 

 

 

その頃、栄養士と言う職業を知りました。

 

「栄養管理を通じて多くの人々の健康づくりをしたい」と思いはじめ、専門学校に入学。

 

卒業後、横浜で10年栄養士をやりました。

 

 

 

保健所に配属になって、念願の健康づくりに関われると思いました。

 

でも。

 

保健所で、こんな事を思ったんです。

 

 

 

「”豊かで自由な”国の、食に関する健康づくりは、

 

個人差や好み、個人の習慣や生活習慣に左右されすぎる」と。

 

 

 

そのころから、自分で仕事をやろう、と考え始めます。

 

健康づくりではなく、心身を整える仕事をしよう、と。

 

 

 

カウンセリングなどメンタル面を学びました。

 

スピリチュアル面の学びは、フラワーエッセンスやレイキを学びました。

 

時間とお金をかけて、様々な学びを続けてきました。

 

ご縁あって、朱鯨亭の別所先生から整体を学びました。

 

そして、心身ともに整える整体師として、活動することにしました。

 

 

 

療術・調整系修行歴

 

代表的なものだけをあげます。

 

・快医学(30時間セミナー修了)

 

・フェルデンクライス

 

・古武術(現在休止中)

 

・操体法(針灸整体センター代表の中尾鴻一先生から学ぶ)

 

・フラワーエッセンス

 

アラスカフラワーエッセンスは、創始者の故スティーヴ・ジョンソンから直接学ぶ。

 

(私、かつてはワンレンでした・・・!)

・EFT

 

・臼井レイキ

 

 

 

整体

 

奈良「整体の朱鯨亭」の別所先生

経絡調整(鍼灸術

 

大田区「杉山鍼療所」の故杉山勲先生と、

大阪市「針灸整体センター」の中尾鴻一先生に学ぶ。

整体院の名前の由来

 

撏龍堂整体院は、しんりゅうどうせいたいいんと読みます。

 

この名前、杉山先生につけていただきました。

 

『しんには「つかむ」という意味がある。龍をつかむような勢いで、ますます躍進してゆきなさい』と激励されました。

 

忙しい毎日の中で、後回しにしがちな心身を休め、明日への活力を得て欲しいです。

 

訪問をご希望の場合は、ご相談のうえ行います。

 

無痛ツボ整体で、あなたの健康づくり・身体づくりのお手伝いをいたします。

 

 

 

整体院開業物語ー私はなぜ整体師になったのか?

 

 

 

撏龍堂(しんりゅうどう)整体院のホームページをご覧になり「整体を受けてみたいけど、男性に身体を触られるのは・・・」とお思いの女性の方もいらっしゃると思います。

 

一方「男性の整体師は一般的だし、今度お願いしようかな」と思っている方もいらっしゃるでしょう。

 

知り合いの女性に聞いてみると、こんな話をしてくれました。

 

「以前生理不順の時、紹介で男性医師に見てもらった。相手はプロだし、気にならなかった」と。

 

調整に性別の違いはありません。

 

私もプロとして、これまで多くの女性に整体を行っております。

 

海外ではカイロプラクティックが整体の支流ですが、男性の先生がたくさん活躍されています。

 

(女性カイロプラクターもたくさんいらっしゃいますよ)

 

男性に触れられたくないのなら、無理に男性整体師の調整を受ける必要はないと思います。

 

整体を受けたい、と思った時のヒラメキに従ってください。

 

 

 

さて整体院ですが・・・多くの人が整体院をはじめ、多くの人が撤退します。

 

整体院開設は初期投資が少なく、自宅でもできますからネ。

 

どんなに小さな街でも、整骨院や鍼灸院がたくさんあります。

 

資金や経営ノウハウ等に乏しい、個人経営の整体院を続けるのは難しいようです。

 

 

 

私が整体を学び始めた時も、厳しいお言葉をたくさんいただきました。

 

「素晴らしい整体の技術があっても、うまく経営できるとは限らないよ」

 

「渋谷さんが整体院をやる?無理無理。公務員やってればいいじゃない」

 

 

 

私は20年間、地方公務員の管理栄養士として働いてきました。

 

整体院経営の経験もノウハウもありませんし、資金もありませんでした。

 

もちろん妻の両親は大反対。

 

親の立場から言えば当然ですね。

 

「公務員辞めて整体院やるとは、そんなに世の中甘くない!」

 

 

 

私は前職で10年間、大阪府の小学校に勤務しました。

 

給食管理や食育など、様々な取り組みを行いました。

 

教育委員会と合同プロジェクトを行い、充実した毎日でした。

 

公務員を続けていれば、安定で確実な収入が約束されていました。

 

 

 

でも、私は公務員を辞めました。

 

整体師として働く人生を、自分で選んだのです。

 

私にとって整体師として働く事は、使命になっていました。

 

赤く、メラメラ燃えるような情熱を、止めることはできなかったのです。

 

 

 

私がなぜ、安定した公務員を捨て整体師になったのか?

 

話は大学卒業のころに戻ります。

 

 

 

大学卒業後、就職を考え始めた時に「人々のお役に立ちたい」という思いがあふれ出てきました。

 

その思いは今も変わりませんが、「縁の下の力持ち」をやりたいと思いました。

 

「食生活改善で人々のお役に立とう」と専門学校に入学して、管理栄養士になりました。

 

 

 

親父が腎臓病で、長年人工透析をしていました。

 

自宅で食事療法をしていた影響で、食生活の重要性を身近に感じていました。

 

念願の管理栄養士になって、小児病院や保健所、高齢者保健施設、総合病院で働きました。

 

でも「組織人としての限界」という目に見えない壁に、ぶつかったのです。

 

 

 

お客様の要望にうまく対応できないもどかしさ・・・。

 

そして、お客様の食生活に対する優先順位の低さにも、ガクゼンとしました。

 

そのうち私は「調整寄りの仕事をやりたい」と思うようになりました。

 

 

 

接客面に役立てるため、カウンセリングの勉強を開始。

 

同じ時期にフラワーエッセンスの勉強も始めました。

 

メンタル面とスピリット面を学び始めました。

 

フラワーエッセンスにのめり込み、紹介でお客様にフラワーエッセンスをお選びするようになったころ・・・。

 

 

 

私は心身共に体調を崩します。

 

自律神経失調症とパニック発作を引き起こしました。

 

 

 

ある日電車に乗って本を読んでいると、体調の異変に気づきました・・。

 

「呼吸ができない!」

 

息を吐くことも吸うこともできず、このまま死んでしまうかと思ったくらいです。

 

何とか自宅にたどり着きましたが、めまいや動悸、息切れ等の症状に見舞われました。

 

 

 

当時、異動先の病院で先輩達との人間関係に疲れ果てていました。

 

最初の妻との関係も悪化。

 

仕事だけでなくプライベートでも打ちのめされていたのです。

 

食事は、インスタントラーメンや外食ばかり。

 

アルコールは増える一方、飲まないと眠れない悪循環になっていました。

 

 

 

知り合いのセラピストに相談して、神経科を紹介してもらいました。

 

神経科で状況を説明すると、「しばらく休んだ方がいいよ」と休職を勧められました。

 

結局仕事は4か月間休みました。

 

前妻とは別居後に離婚しました。

 

しかし、自律神経失調症の症状は治まらず、失意の毎日でした。

 

 

 

そして、災いは重なります。

 

親父が脳梗塞で倒れ、危篤になりました。

 

親父は長年人工透析を行っていて、血液が固まらない薬を飲んでいました。

 

出血が止まらないので、手術ができないと・・・。

 

「親父にもしものことがあったら、お袋を一人にできない」と、地元の公務員採用試験を受けました。

 

親父は私が転職するのを待たず、亡くなりました。

 

 

 

実家に戻り、食生活を改めて鍼灸治療を受けました。

 

漢方薬局で漢方薬をもらい、自宅で煎じて飲みはじめます。

 

アルコールは止めました。

 

 

 

少しずつ体調は良くなり、やがて鍼灸治療も漢方薬も要らなくなりました。

 

鍼灸師の提案で古武術を学んで、身体面の再構築を行いました。

 

ようやく心身の健康を取り戻したのです。

 

心身の健康さを、ありがたさを実感しました。

 

 

 

鍼灸師の紹介で、整体の一種の操体法を学び始めました。

 

メンタル面やスピリット面の学びは続けていましたが、身体面の勉強は新鮮でした。

 

 

 

心身が少しずつ変化する。

 

健康になっていく事が実感できる喜び。

 

 

 

メンタル面やスピリット面の事は具体的に実感しにくいのですが、身体面はわかりやすかったです。

 

メンタル面やスピリット面で得た敏感さが、身体面の学びに大いに役立ちました。

 

 

 

「身体面の調整をやってみたい」

 

縁あって見つけた、別所先生が主催する整体師養成コースを受けることにしました。

 

 

 

そんな時に、お袋が急死したのです。

 

 

 

お袋は、糖尿病の持病がありましたが、少しデータが悪いくらいで元気でした。

 

妻と病院に駆けつけると、医師は「急性の心停止で、30分以上脳に酸素が届いていない」と。

 

「こりゃあ、もうダメだな・・・」正直そう思いました。

 

お袋はすでに意識はなく、話をすることもできません。

 

結局、お袋は1週間後に亡くなりました。

 

 

 

あわただしく葬儀が終わった後、ポツリと思いました。

 

「人生どうなるかわからないな。どうせならやりたいことをやって、皆様のお役に立てる仕事がしたい」

 

整体師で開業するーメラメラと熱い思いが燃え上がってくるのを感じました。

 

そして、その炎は未だに、勢いを増すばかりです。

 

「整体師を一生の仕事にしよう」そう決意しました。

 

 

 

整体で、人々のお役に立とう。

 

忙しい毎日で心身ともに疲れた身体を整える場所を作って、心身の不調から回復してもらおう。

 

笑顔一杯の毎日を、送れるようになっていただこう!

 

 

 

退職の準備を始め、猛勉強の開始しました。

 

解剖生理学や免疫学、接客や色彩学。

 

坐学と並行して、知人に整体をやらせてもらいました。

 

妻や妻の友人、私の友人など延べ50名程度に、格安で整体を行いました。

 

 

 

初めは緊張が強く、おっかなびっくりで何をどうすればいいかわかりません。

 

ヘンな汗がわきの下を流れるのを感じながら、整体を行いました。

 

私のような初心者整体師の整体を受けてくれた方には、本当に感謝しています。

 

お陰様で「お試しでなく、正式に整体を受けたい」と言ってもらえるようになりました。

 

「渋谷さんの整体で頭痛や腰痛が楽に」と言われた時は、とてもうれしかったです。

 

 

 

お客様からたくさんの感想をいただき、試行錯誤の連続でした。

 

いかにして心身を調整するか?

 

いかにしてお客様に満足していただくか?

 

様々な施術の勉強会にも通って、新しい技術を身につける毎日。

 

やがて、自信を持って調整を行えるようになりました。

 

 

 

しんりゅうどう整体院では、日々変化するお客様の身体に真摯に耳を傾けて、フルオーダーメイドの調整を行います。

 

より高いレベルでお客様の心身の回復、満足と新たな感動を与えるため今後も研鑽を重ねます。

 

お客様の本来の実力が発揮できるように!仕事もプライベートも、充実した毎日を!

 

お客様の輝く笑顔のため、そしてよりポジティヴな生き方を送れるように。

 

今後もお手伝いをさせていただきます。

 

 

 

長文におつき合いいただきありがとうございました。